とっておき


カスミの料理は下手だ。
いつも悪口を言うと鉄拳制裁を食らうけれど、これだけは本人も認めているのか何も言わない。でもあんまり口に出すとかわいそうだから心の中のつぶやきだけで留めておく。でも心の中では何度だっていう。カスミは料理が下手だ。

結婚して、まず目の前に現れた壁はそれだった。俺だって料理なんて全然できない・・・。はじめてカスミが作ってくれた料理はたぶんカレーだったのだと思うけれど今思うとシチューだったかもしれないからやっぱり良く分からない。彼女いわく料理には隠し味が必要だと思うけれど、応用をするには基本がしっかりとしていないとだめなことくらい俺だってわかる。

「ごめんな」
「え?」
結婚して一週間の記念日はちゃんとしたものを食べようということで出前を取った。普通の料理のはずなのに舌がカスミの料理に慣れていたのかとても美味しく感じた。カスミは一週間記念に買った小さなホールケーキを危なっかしい手つきで切り分けていた。余談だけど、料理は下手だけどエプロンは似合ってる。恥ずかしくて言えないけど。
「料理は別に女の仕事じゃないって、カスミだって言ってたじゃん。ジムもあるんだしさ。俺がなんか作れれば解決したかもしれなけど・・・。」
「なーに言ってんのよ。サトシだって忙しいんだからお互いさまでしょ。」
謝るのはダメ、と優しく笑うけれど包丁は置いてほしい。こわい。

いびつな形をしたショートケーキをピカチュウとルリリにも与えながら、やっぱりタケシやデントみたいなのが一人いるといいなと思った。明日からまた赤ワインみたいな色をした味噌汁を飲むのかと思うと、ちょっと、怖くなる。でもカスミが一生懸命なのは分かっているから、面と向かってまずいとは言いづらいし。ああ、タケシのサニーサイドアップの目玉焼きが食べたい。
「・・・タケシと結婚する人は幸せよね」
だから俺は、明日に思いをはせていたせいで、カスミの何気ない一言に頷いてしまった。
ふと我に返った時は、カスミを傷つけたんじゃないかと心配したけれど、顔をあげた先のカスミも「はぁ〜あ、とろとろの半熟オムライス・・・」と溜息をついていたから本当にお互い様だと思った。

***

「“愛情が足りないんじゃない〜?”って!」
『落ち着け、落ち着けカスミ』
電話の向こうで必死にタケシがなだめてくれているけれど私は羞恥と怒りと怒りで耳には入っているけれど言葉に従う気はなかった。大事な事だから何度だっていう。私は怒っているのだ。お姉ちゃんたちに相談したのがそもそも間違いだったとは思うけれど愛情がないとかそんなふうにからかわれる筋合いはない!だいたいお姉ちゃんたちなんてフラフラ遊びまわっているからハナダジムだって私がリーダーに認められているし結婚だって私が一番にできたんだ。
『カスミ!』
「・・・うん」
ごめんねと肩を落とすとタケシは笑って許してくれた。結婚生活の愚痴がサトシのことではなく野次馬のことだと分かったからか安心したらしい。
『それで、俺に電話してきたのは』
「うん、今日はサトシ朝から出かけてるしジムも休みだから、タケシに料理を教えてもらおっかなーって。」
サトシのママさんか、いやわたしのママさんでもあって・・・ううん、さん付けは変よね。私のママかタケシかどっちの味がサトシはいいのかと悩んだけれど、料理の腕前をなぜか知っているタケシのほうが頼みやすい。サトシがイッシュで旅していたデントはここからじゃ遠いし、デンジャラスなフレーバーがどうのこうのと言われそうで頼みづらいから、長年の兄貴分のタケシにすがっているわけだ。
『ちょうど今日は俺も予定がないから、昼ごろにそっちに行くよ。それから買い出しに出かけよう。』
「サンキュー、タケシ!助かるわ!」
急なお願いにもかかわらず、タケシは快く了承してくれた。
今日という今日は、おいしいと言ってもらえる料理をつくる!・・・ことができたらいいな・・・。


サトシが私の料理を無理して食べてくれているのは分かっている。
インターネットに出ているようなトンデモレシピでなくて普通に作っているはずなのにどうしてまずいんだろうと思ったけれど、隠し味がいけないんじゃないの、とサトシにさりげなくダメだしされた。隠し味こそ美味しさの決め手だと思っていた私には目からうろこだけれど、料理だってポケモンバトルと一緒だとわかってきた。例えば、水は草に弱いけれど炎には強い。その相性の基礎があったうえで、レベル差を使ったり相性をひっくり返すタイプの技を使用したりと応用の利いた戦い方が出来る。料理だってそうなのだ。基本の味付けを覚えてから自分好みに変えるのが大事だとタケシはアドバイスしてくれた。
分かってはいるんだけど、と言ったら、分かっていないからそうなるんだと冷静な言葉がぐさっと刺さった。

「料理の味付け『さしすせそ』!どうだ、分かるか?」
「『さしすせそ』?『さ』・・・『さ』はサルサソースのサで〜」
「あ、あのなあ・・・。ほら、甘いデザートなんかには欠かせない」
「えっと・・・あ!さとう!」
正解、と言われて上白糖を手に取る。まともな調味料すらないのか?とタケシは呆れていたけれどサトシだって何も言わなかったから、もしかしたら私達タケシが居ないと本当にやっていけないのかもしれないとちょっと不安になる。いーえ、タケシが居なくたってできるようにならなくちゃ。いつかは私だけの力で美味しいって言わせるんだから!
「その意気、その意気」
カートを押すタケシは上機嫌に笑っていい野菜の見分け方まで教えてくれた。

今夜は初心者にも量を間違えなければ簡単、ポケモンゼミナール生が野外生活でも作る定番中の定番、カレーだ。結婚初日もカレーにしたから、またカレー?なんて思われそうだけどこれはリベンジなのだ。初日は浮かれ過ぎて白米をよそったかどうかすら覚えていない。タケシも食べて行けば?と誘ったけれど、新婚さんの家庭に呼ばれるのはまだ早いとかなんとか言って作ったら帰ることになった。逃げ台詞でないといいのだけれど。
本当に料理の才能がないのか、ルアーをつくるときには器用になんでもこなせた私の両手がジャガイモ1つに切り傷を2つも作ってしまった。見かねたタケシが包丁はまだ早いなと子供相手に言うような台詞と共に皮むき器を渡してくれて私はその剥きやすさに感動した。

***

用事を済ませて家に帰る。疲れた体では美味しい物が食べたい。家に帰ればどうやってその色出したんだ?と聞きたくなるような料理が出てくることは間違いないけれど、俺はどこで外食もせずに家に帰る。だってカスミが待っててくれるんだ。そりゃあ料理は胃が痛くなることだってあるけれど、待っててくれると思うだけで気持ちがこんなに優しくなる。ピカチュウも鼻をひくひくさせてぴかぴかと鳴いた。

「・・・ん?」
「ピカ?」
家に着くと、いつもはなんともいえないにおいが漂ってくるはずなのに、今日は食欲をそそられるにおいがする。まともな料理のにおいが家からするのがなんだか嬉しい。もしかしてタケシでも来て作っていったのかな?
「ただいまー!」
「ぴかぴかー!」
「あっ、おかえりなさーい!」
玄関を開けると美味しそうなにおいがしておなかが鳴った。思えばカスミと結婚してから料理のにおいをかいで食欲が増すことなんて、出前を取った昨日だけだったと思う。タケシからプレゼントされたふりふりのエプロンをつけたカスミが、ちゃんと手を洗わなくちゃだめよと飛びついたピカチュウを洗面所に連れていく。
「・・・・カレー?」
「ストーップ!あんたも手を洗う!」
台所に直行しようとしていたところを後ろから襟首を引っ張られて窒息しそうになる。うがいもしないと!風邪流行ってるのよ!というカスミの小言を聞きながら、手を洗っている最中も鼻を動かす。となりにいるピカチュウも口元をもぞもぞさせてよだれを垂らしていた。
「そう、カレーよ!タケシに作り方教えてもらって、でもちゃーんと私が作ったのよ!名付けてカスミちゃんスペシャル愛情カレー・・・もちろん隠し味もばっちり」
「げ」
「ん、何か言った?」
「い、いやあ別に」
若干ひんやりとした汗が流れたけれど取り繕う。隠し味が入っていることが怖いけれど、きちんといいにおいがしていることだけでも十分な進歩なのかもしれない。

ことことと音を立てる鍋を覗くと、きちんとしたルーの色をしたカレーが入っていて感動した。炊飯器を開けてみても炊きたての白い米が湯気を立てている。カスミはおろしたての中皿に手際よく盛り付けて行く。盛り付けはタケシと旅をしていた時からしていたからそこまで下手ではない。
と、カスミの左手に絆創膏が巻かれていることに気付いた。しかも二枚も。
「あ、ははー。ジャガイモの皮むきに苦戦しちゃって〜。」
「あのな〜、本当に大丈夫かよ?」
「うん!タケシに皮むき器もらったからね。」
そうか、それならいいけどと思う気持ちと一緒に、なんとなく疎外感があることに気付いた。カスミのことがはっきり好きだって分かる前でも、カスミに付きまとうやつにはやきもちとも何とも言えない気持ちを抱いたこともあった。でもまさかタケシにもそんなこと・・・そうそうタケシは俺の友達だし・・・。
「タケシがね、カスミは器用だから慣れれば大丈夫だって。ま、当然よね!次は難易度が高いけどあんたの好きなコロッケを教えてもらうことになったから楽しみにしてて!」
もう小麦粉団子にはさせないからとカスミは胸を張って言うけど、タケシとふたりでなんかするくらいならこのままでも・・・なんてちょっとだけやきもちやいたことなんて絶対言えない。

盛り付けた2人分のカレーを挟み、一口分のカレーを掬ったスプーンを持って俺とカスミは向かい合う。まるで解けないポケモン検定試験問題を目の前にしたかのようにカスミは難しい顔をしている。きっと俺も同じような顔をしているんだろう。ピカチュウは人間に毒見させてからと言わんばかりにカレーから距離をとっていた。さっきまでよだれまで垂らしていたのに念には念を入れるのは野生の本能なのだろうか。
見た目も香りも十分おいしそうなカレーだけど肝心の味は食べてみなくては分からない。視線を合わせ、恐る恐る口に運ぶ、と。

「・・・・・・お!」
「おいしい!」

自画自賛するかよ、と思ってしまうがたしかにおいしい。
「やっぱりね〜私はやればできるのよ!ただいつもはちょっと張り切りすぎちゃうのよね〜」
「うん、すっげーうまい!」
「そーよそーよ、もっと褒めなさい」
食べられるものと分かって安心したのかピカチュウも専用のボールに盛り付けてもらったカレーをなめていた。ポケモンフーズじゃなくても食べられるくらい味覚が人間に近くなっていっているピカチュウも、一口食べると満足げに鳴いた。

「だけど、不思議だなー。ママやタケシのカレーも美味しいけど、それとは違った味がする・・・。同じカレーでもなんでこんなに違うのかな。」
ママやタケシの作るカレーとはまた違って、でも同じくらい優しい味がした。勿論どれもおいしいけどさ、と付け足すとカスミは妖しく笑う。
「タケシにはまずはプレーンなものをって頼みこまれたんだけど、それだけじゃつまらないじゃない?だから見てない隙にサッと・・・ね!」
ほら、とカスミに差し出されたそれは。
「まっ・・・マヨネーズ!?」
「そ!タケシの目を盗んでだったから、ちょっとしか入れられなかったけどね。」
いや、ちょっとしか入れられなくて十分だったんじゃ・・・なんてことは言わないで、「へえ、すげ〜」と無難な相槌をうっておく。
「はちみつやりんごなんかはありきたりだし、チョコレートやヨーグルトは買ってきてなかったのよ。そ・こ・で!今日丁度買ってきたマヨネーズが役立ったってわけ。」
適度な酸味が丁度良く今までに食べたことのない味だってことも納得がいく。カレーは隠し味入れない方がいいとかいう意見もあったような気がするけど、美味しければ俺は何だっていい。空腹は最高のソースっていう言葉があった気がするけど、今日のカレーは空腹だったことを除いても十分美味しい。それにカスミが一生懸命作ってくれたということがやっぱり嬉しい。そうか、結婚したんだよな、俺たち・・・。

「ま、隠し味はそれだけじゃないけどねー。」
「ほ、ほかにもなんかあんの・・・?」
「うん、とっておきのスパイスがね!」
頬をひきつらせて恐る恐るカスミを見る。ちょっとピカチュウと同じ反応しないでよと笑うカスミの顔は少し赤くなっていて・・・

「ピカチュウと・・・勿論サトシのためにも、たーっぷりの愛情が入ってるんだから。」
ね、とはにかむ先がピカチュウで良かったなんて。そんな笑顔を向けられることがまだ恥ずかしいなんて。熱いのはカレーのせいじゃないこととか。言えないことがどんどん増えていくことが、なんだかこそばゆいなんてことも、言えないんだろうなと思うとなんだか幸せな気分だった。


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