カナサン
「一護!ほらほら見ろ!海だ!」
「ああ…海だな」
海水浴に行こう、と提案したのは誰だったか。海という単語にわらわらと引き寄せられて結局大所帯になっていた。暑いのによく行くなあと他人事みたいに眺めていたら「一護の彼女見てみたいな〜」と。まさか話がとんでくるとは思わず「見せ物じゃねえよ」と適当に答えたらなんやかんやで彼女を誘うことになり、知り合いのいない小旅行に尻込みするかと思いきやルキアは「なんとか都合をつける」とすんなり了承した。
結局調整に難渋したルキアは仕事で遅れ、駅でひとり待っていた一護とともに、ほかの皆より1時間遅れてようやく海を見ることができた。電車からでも分かる煌めきにルキアはばしばしと一護の腕を叩いてはしゃくが、カンカン照りの砂浜が見えてきて一護はげんなり。
「元気だなお前…暑くねえの?」
「そんなもの、海に入れば気にならぬわ!」
「泳ぐ気かよ…ていうか泳げんのか?」
「ああ、準備ばっちりだ!貴様も泳ぐだろう?」
「んなつもりはねえよ」
念のため水着は持ってきていたが、もとは荷物番するつもりでいた。一護は、水着を着てはしゃぐ自分が想像できなかったのだ。
「…なぜだ」
「は?」
「どうして泳がぬのだ!せっかくの海ではないか!貴様泳げぬのか?!」
「んなわけねーだろ!面倒なんだよ」
「どうしてだ!貴様が泳がぬのから私は…」
誰についていけばよいのだ…とルキアは目線を下げてしゅんとした。
織姫のように誰とでも打ちとけられるわけではないルキアは、それでも海に行くと言ってついてきた。めずらしく。
「無理すんなよ。知ってるやつ居ねーだろ?嫌なら帰るか?」
「そんな…嫌というわけではないが、貴様が行くから…」
恥ずかしいのか、悔しいのか、拗ねたようなルキアの声は電車の音にかき消される。戦いが終わり、なんとなく大事な人のカテゴリに属したまま、なんとなくおつきあいをはじめただけに、こうしてもどかしい距離にいるときに、どうしたらいいのか一護はわからなかった。
手を握ればいいのか、抱き寄せればいいのか、どちらにしても公衆の面前、電車の中で行うにはまだハードルが高い。
「せっかく水着も着てきたのに…」
「は!?」
「え?」
驚いて大きな声を出してしまい、数人が一護たちのほうを振り向いた。気まずい一護は「う゛っうん」と咳払いをして、膝を曲げて背を丸めてルキアに耳打ちした。
「………水着、着てんのか…?」
「着ているが?」
あっさり。
「マジで…?」
「どうせ脱ぐのだ!浦原だって『すぐに泳ぐときとかは水着着ていくと楽ちんですよ〜あっでも下着忘れないでくださいねえ』と言っておった!」
ほれ、と言ってワンピースの襟をぐいっと広げてきたので慌てて制止した。やめてほしい。
「まあ、そういや小学生の頃水泳習ってるやつはそうしてた気がするな…っていやそうじゃなくて…」
「なんだ」
「…楽しみだったんだな、お前」
こんなにも海を楽しみにしていたルキア。対して自分は「ルキアはついてこないだろう、もし来たとしても乗り気じゃないだろう、どうせ今日会う友人はルキアにとって知らない奴らだし、適当に過ごそう」と思っていた自分との温度差に虚しくなった。ルキアのことは分かり切っているようで、まだまだ分からないことだらけだった。
「…石田とか茶渡ではない一護の友人が、どういう人で、一護はその友人にどういう顔をしているのか、知りたかったんだ」
「…ルキア……」
おれの親かよ。
冷静に突っ込むと軽く腕をはたかれた。そういえばちょっとしたことで身体に触れられることが増えたのは、ルキアなりに距離を縮めてくれている証拠なのかもしれない。
「…私の知らない一護を、もっと知ってみたいんだ。今までは、仲間の1人として、一護のことを見てきたけれど…もう違うだろう。」
「…そっか」
窓の外を睨みつけるように、景色から視線を逸らさないルキアがなんだかいじらしくて、少し照れ臭い。そんなつもりはないのに、結構興奮してしまって、いよいよ水着になりづらい。
「それからだな…」
「おう」
意を決したルキアに見つめられる。言おうか言うまいか悩む唇は、リップクリームか何かでほのかなオレンジ色をしている。
『本日は列車をご利用いただきありがとうございます。次はーーー』
すごいタイミングで遮られて、一護はほっとしてしまった。なんというか。あの瞳に見つめられて、何か言われたら、冷たい海に全身浸かっても物足りないくらい、熱くなりそうだった。だから少し残念そうな顔をしたルキアに気づかないフリをして、「はぐれんなよ」と声をかけた。
「さっきの…」
改札を出た頃にルキアは話を蒸し返した。ふいうちに一護は思わずルキアの顔を見てしまった。
「お前が行くからついて行きたかった。少しでも、一護の近くにいたかったから。……な、なんてな…ははは……。」
すぐに俯いて、小柄な体型に似合わない大股でルキアはズンズン歩いていく。
「ルキア……………。そっち反対。出口、こっちだぞ」
ぴたりと止まったルキアが、振り向いて怒鳴る。
「先に言え!!!」
その顔は怒りだけではないくらい真っ赤になっていて、一護は恥ずかしくてまだ言葉で返せないかわりに、同じくらい照れているだろう熱い顔で、思いっきり笑ってやった。
「一護は水着にならねーの?荷物番してないで海に入ろうぜ」
「無理、却下」
「頑なだな…なんでだよ〜?」
「なんでもいいだろ!」
水着を着たルキアはそれはそれは可愛らしくて、絶対夢に出る…と一護はこれからの苦悩を思ってため息をついた。
そんな一護の気も知らず、ルキアは案外すんなり一護の友人と打ち解けていた。
おわり