私はマネキン
春とはいえ夜はまだ冷えた。それでも30分も走れば汗が吹き出る。逃げ足だけは速い虚を追って、随分遠くまで来た。
「挟み討ちだぜ!」
「破道の三十三、蒼火墜!!」
霊力が完全に回復していないうえ、詠唱破棄したルキアの鬼道は、それはそれはかわいい威力でしかなかったが、虚の視覚を一瞬だけ奪った。その僅かな瞬間をねらい、一護は斬魄刀を振り下ろす。
「はっ、はっ、はぁーーーー……疲れた」
アスファルトに斬魄刀を転がすと鈍い音が響いた。せっかく寝るだけだったのに、汗でベトベトだ。いや、霊体だし、肉体に戻ればどうなのだろうとぼんやりしていると、視線を感じた。
「どした?」
「あ、いや…」
涼しい顔をしているルキアは、ふむふむと考えるようなポーズをとり、一護をジッと見つめる。その熱い視線が、なんだか…
「気味わりい」
「なっ」
「だってそうだろ。何なんだよ!人のことジロジロと」
その言葉にルキアは、言うか言うまいか悩むように瞬きを繰り返すと、組んでいた腕をほどいて一護に向き直った。
「貴様も…その服が馴染んできたと思ってな」
「は?」
出てきた言葉は意外なものだった。斬魄刀の振りが甘いとか、あの程度の虚でナンタラカンタラと長い説教を食らうと思っていたから、一護は拍子抜けした。
「死覇装は、死神の制服のようなものだ。はじめこそ、貴様は死覇装に着られているようで正直違和感だらけであったが、今ではなかなか…、」
様になっておるぞ。とでも言おうとしたのか、それでもルキアの言葉はそこで止まった。というか、さり気なく貶された気がするのは気のせいだろうか。
しばらくそのまま口を開けていたルキアは、一護の催促がないことを良いことにくるりと踵を返す。
「おい」
「なんでもない。帰るぞ、屈め。」
(一護に似合うのは、こんな制服ではない。人間の高校生が着る服の方が、ずっと似合っている。)
一護の背中で、ルキアは罪悪感に苛まれた。
そして言葉にされなかったルキアの思いを、一護が知ることはなかった。
数時間後、2人はいつものように、同じ高校の制服に身を包み、別々に登校する。昨晩の冷え込みを感じさせないくらい、日差しが暖かい朝だった。
「今日は浦原のところに寄ってくるから遅くなる。」
「あのゲタ帽子か。俺も行った方がいいのか?」
「貴様はよい。すぐ戻る、何かあったらコンで死神化しろ。」
これからの内魄固定剤は、どれくらい必要なのだろう。いつから私はこんなにも人間の身体に馴染んでしまったのだろうーーー先の見えない不安がルキアを襲う。
「あのさ」
「ん?」
「お前も、なかなか似合ってんぞ、その制服。」
じゃあな、先に行くぜ。
残されたルキアは、一護の部屋で言いようもない想いを感じていた。このままでいたら、内魄固定剤は、きっと足りない。そんなふうに、なりたくないのに、すべてを投げ出したい気持ちになってしまう。
「貴様も、様になっているよ、一護。そのまま私の代わりに、死神として働いたらどうだ?」
部屋の主の居ない空間に、つぶやきは溶けた。
違和感がないとか、馴染んだとか、曖昧な言葉ではなく、真正面からほめてやりたい。でも今は、人間の彼には、言えない。そうだ、この先何十年かして、一護が護廷十三隊に入隊したら、そのときはまっすぐにあやつの死神姿を褒めてやろう。
そのときのためにも、自分は死神としての誇りを捨てない。捨てたくない。憂鬱な気持ちをため息に乗せて、気を引き締めた。高校の制服を着て、今日もルキアは人間のふりをする。